2014年8月14日木曜日

メモリー

樹齢1000年に達する樹木が存在する。
その木も、一つの種から、芽を出した。その種は、一グラムのならない小さなものかもしれない。
しかし、その木は、何十トン、何百トンもの重さになっている。
水分を吸い上げ、養分を吸い上げ、光合成を行い、毎日、毎日、毎分、毎秒、成長をしてきた。
1グラムにも満たない種が、何十トン、何百トンもの樹木に、物質変換したわけではない。
樹木の体をつくる材料をひたすら、取り込んで、自分の体を作っている。
種を構成した1グラムの物質も、生命の新陳代謝の中で、すでに、その樹木から、消え去っている
のかもしれない。

最初にスタートした種は、その樹木の命であり、その種(しゅ)の形である。
イチョウの木は、イチョウの木になり、杉の木は杉になる。

その大木を構成する物質は、その前は、土であり、水であり、空気であった。
別に、その樹木になる必然はなにもない、地球上を漂う物質であった。
しかし、なぜか、その木を構成する材料として取り込まれた時、それは、杉になり、イチョウになった。

魂の記憶。
それは、まるで、遺伝子のようなものなのかもしれない。
しかし、同時に、その誕生以前に、蓄えれられたエネルギーのようなものなのかもしれない。

現在の人生を構成する、さまざまな要素。
しゃべり方、歩き方、両親に対する接し方。お金に対する考え方。

政治や社会、家族に対する考え方。
アメリカやイスラム社会に対する考え方。
その膨大な まるで樹木を構成する物質のような大量さをもって、人間の内側に蓄えられる。
経験として、思想として。

しかし、すべての根源的な 種  魂は、その樹木全体に命を与え、成長を促している。
なにか、そのようなもの。

この不思議な、まるで、ブラックボックスのような無限の世界。

しかし、あるとき、奇妙な反応を引き起こす。
その地域、その家庭、その社会にあって、なぜか誰にも理解されない、その人となにか不思議なかかわりで
突然、反応をおこす。

超能力なんて絶対信じないと豪語する大槻教授。新聞に紹介された記事によれば、子供のとき、火の玉をみて その不思議を追求しようしているという。
たった一つの昔話を手がかりにその人生を、トロイ発掘にかけた人もいた。だれも信じていなかったのに。


魂が、何かに反応する。まるで、ハンマーで叩かれたような衝撃を与える時がある。
それは、なぜか、”不思議さ”との出会いである。

この”不思議さ”という”不思議さ”は奇妙なことだ。
なぜなら、ある人にとっては、どうでも、いいことなので、関心の対象にも、ならないことなのに、 ある人には、人生を変えてしまう 重大事件となる。
なぜ、その不思議さは、それほどまで惹かれるのか。
それは、その不思議さを不思議と感じる 魂の記憶が存在するからかもしれない。
なぜなら、その不思議さに、なんらかの答えがある という 直感にほかならない。

ガザに撒きあがる煙

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