2013年11月29日金曜日

平和の祈り

一人の人間に何ができよう。
そう思うとき、内なる声が叫びを上げる。
すべてのことは、一人のうちより生まれ出でる。
世界の宗教となった仏教も、キリスト教も一人の人間から始まった。
インドの独立もたった一人の運動から始まった。
現代文明を支える電気も、コンピュータも一人一人の情熱から生み出された。

すべてのものは、一人の人間の内より生まれる。
人生のすべては、一瞬一瞬の自由意志の判断の連続より生まれる。

この大学に平和を祈る鐘の音が響くようになった。
平和の祈りを捧げよう。

平和とは、利己的な怒りの内より、生まれ得ない。
平和とは、利害の中から生まれる事はない。
平和とは、思想の中から生まれるものではない。

平和とは、全てを捨てて、全てを捨てつづける、
そのむこうに生まれだすものである。

いままでのいきさつを捨て去ることができるとき
いままでの富と栄華を捨て去るとき
時には、その生命さえも捨てることを求められることもある。

19歳の少女がある国の存続のために、炎の中でその生命を終える
その時にこそ、"平和"が存在した。
砂漠を彷徨いながら、愛に生きることを心に決めてしまった
かの人が、どんな理不尽さに遭いながらも、それ以外の生き方を
しなかったばかりに、丘の上の十字架で死んだその時にこそ
究極的な"平和"は存在した。

人は、すべてのいきさつを捨てなければならない。
そのいきさつを捨てて、なお、人の手に残る平和という
宝を手にしなければならない。
それは、膨大の砂の中から、金を見つけるために、多くの
砂を捨てなければならないのに似ているのかもしれない。
それは、ダイヤを見つけるために、多くの岩を砕かなければ
ならないのに、似ているのかもしれない。

人を殺すことがいけないという、ただ、それだけの理由で平和に
いたることはできない。
相手が悪く、こちらが正しいという理由で、平和に至る事はできない、

平和とは、すべてのこだわりを脱捨てた"むこう"にだけ存在する。
国家、政治、経済、宗教を脱捨てた、その"むこう"に存在する。

それほど、人間の本当の姿は、すばらしいものなのだ。
しかし、多くの国家という着物が、政治という着物が
経済という着物が、宗教という着物が、そのほんとうの
すばらしさを覆い隠す。
多くの伝承は、人間は、神に似ていると伝えている。
地球の存在を支え、生命に生きるエネルギーを与えつづけ、
自由意志という力を人類に授けた、その源に、
人は、似ているという。

"平和"、それは、人類の歴史さえも、脱捨てた"むこう"にこそ
存在する。
そして、"平和"という言葉が、この地上に存在する事実こそ
"平和"にいたる道である。
人類は、"平和"の存在を確かに認識しており、そこに目指すべきであることを
一人一人の人間の内に、刻み込まれているのである。
それこそ、人が、神に似ている、確かな証拠である。


平和を祈ろう。
暴力の嵐にも吹き飛ばされない、足場を、自らの内に築こう。
平和を祈ろう。
祈りこそ、天と地をつなぎ止める楔である。
平和を祈ろう。
人類は、平和の尊さとそこに至る道を確かに知っているのである。
すべてのいきさつを横において、かの鐘の音に、すべてを委ねるその瞬間に
光が差し込むのかもしれない。その光の差し込んだ先に見えたものが、
平和の姿なのかも知れない。
それは、祈りの内にしか見出すことはできないもの。

平和を祈ろう。
それしか、できないかもしれない。
しかし、それこそが、人間の内に、"平和"を強くし
平和を具現するエネルギーとビジョンをこの地上に溢れだす、唯一の道である。

そして、伝承は伝えている。
その"エネルギー"と"ビジョン"は、永遠の時を超えて、存在しつつけているのだ、と。


   (by kimito 4/6/2003 バクダットにたくさんの爆弾が落ちている
   というニュースを聞きながら。)

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