2013年11月29日金曜日

確信とはなにか




奴隷制度が、あたりまえの時代にあって、奴隷解放を宣言することは、非常識である、
しかし、そうしなければならない、確信が存在する。
その”確信”は、その”世界”存在しない。
その”確信”は”どこか”に存在するのです。

それは、この世の”存在”にまさる”重さ”を持っているのである。

農家の娘が、フランス王の下に出かけていくのも
まわりに誰もの驚きながら、そして、多くの者が、諌めたのであろうに
彼女の内なる”確信”をもって行かせるのである。
その”確信”は、この世の”どこにも”記載もなく、痕跡もないものである。
しかし、それは、”どこか”に存在するのである。

それらの”確信”は、”ふわふわ”したものではなく
世界を変える”不動の支点”のようなものである。
その”支点”を支えている存在が、”神”ある。

現在社会の抱える様々な問題。
  環境悪化、温暖化、気候変動
  民族、宗教紛争
  南北問題、エイズやSARS といった問題

  それらは、この”世”に存在する多くの問題
  その問題を、ひっくり返す”支点”は、”どこか”に存在する。
  この世界の”あらゆる活動、思考、価値を越えて”
  それらを乗り越える、”支点”がどこかに存在する。

  ”反発”や”服従”を越えた
  新たな”確信”の発展や到達が必要なのだ。

               (by kimito 12/14/2003 赤穂浪士の討ち入りの日に
                              サダムフセインが、捕まったという知らせを
                              聞きながら。)

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